No.9 インフルエンザの流行史

[ 詳細報告 ]
分野名:ウィルス性感染症
登録日:2016/03/17
最終更新日:2016/05/26
衛研名:大阪府立公衆衛生研究所
発生地域:国内全域
事例発生日:1930年
事例終息日:
発生規模:
患者被害報告数:
死亡者数:
原因物質:インフルエンザウイルス
キーワード:ウイルス、インフルエンザ、インフルエンザウイルス、ウイルス感染症、呼吸器系ウイルス感染症

背景:
インフルエンザはインフルエンザウイルス感染によって起きる疾病であり、毎年のように流行を繰り返し、時には世界的な大流行が起きる事がある。特に、我が国では低温、乾燥状態が続く冬期はウイルス側にとって感染拡大に好条件であり、非常に罹患率の高い疾患である。その反面、疾病の軽度ゆえに、即ち、高い罹患率と低い致死率ゆえに、病気より流行の形態に目が向けられる事が多い。しかし、ハイリスクグループにとっては、致死的な疾患ともなり、流行の大きさによっては超過死亡の原因としてあげられ、健康被害の第一にあげられてよい疾病である。

概要:
歴史的にみるとインフルエンザウイルスの発見は1934年である。その後、1940年にはそれまでのウイルスとは抗原的に全く異なるウイルスが発見され、これまでのウイルスをA型、新しく発見されたウイルスをB型とすることになった。そして1918~1919年の全世界の罹患者6億、死者2千300万人と推定されるスペインかぜの病原体が、インフルエンザA型ウイルス感染とその流行によってひき起こされた事が、血清学的な調査研究の結果明らかとなった。1948~1949年イタリアに端を発したイタリアかぜの時代が過ぎ、1957年にはアジアかぜとして抗原変異したインフルエンザA型ウイルスが出現した。1957年2月に中国大陸奥地に出現したウイルスは、4月には人口密度の高い香港に到着、我が国には5月に侵入し、5~7月には学校等の集団生活者の50%が感染、1957年の届出患者数による罹患率(人口10万対)は1000を超えた。そして、1957年中に全世界に拡がった。その後10年間この型の抗原性をもつウイルスにより小流行が繰り返された。1968年7月、香港でアジアかぜの抗原変異型として分離されたウイルスが各国に拡がりをみせ、香港かぜとして、新型ウイルスか、アジアかぜの抗原変異型かがWHO国際会議において議論され、1970年の初めにインフルエンザA型ウイルスに関する命名法が決定された。この時点で、過去に人類が感染したインフルエンザA型ウイルスはその抗原性により分類され、インフルエンザA(H1N1)型ウイルス:スペインかぜ、イタリアかぜ、インフルエンザA(H2N2)型ウイルス:アジアかぜ、インフルエンザA(H3N2)ウイルス:香港かぜと統一され現在に到っている。そして、この香港型ウイルスも10年間小さな抗原変異を繰り返しつつ流行したが、流行規模は1970年の罹患率170程度を最高とし大流行には到らなかった。1977年には古いA(H1N1)型と類似した抗原性をもつウイルス:ソ連かぜが出現し、新旧交代時期と思われたが、その後、B型を含め、3種のウイルスが交互に、または同時に流行因子として検出されている。その後の患者発生から見た流行は1977年のA(H1N1)型の登場時期が最大で、最近の流行は比較的小規模である。しかし、一般的に感染力の弱いとされるB型が流行因子として混入した年は、患者数も増え、流行の遷延化が認められる事が多い。又、1997年香港で、トリを宿主とするA(H5N1)型ウイルスがヒトに感染し、人類にとつて新型ウイルスの出現かと世界中から注目されたが、その後の解析の結果、ヒトからヒトへの感染は認められなかった。

原因究明:
毎年、各地研で施設閉鎖の病因検索、サーベイランスの病原体検出のためインフルエンザウイルスが分離同定されている。さらに、脳症、脳炎等の病原体検出にPCR法も導入され、解析データが集積されつつある。

診断:

地研の対応:
インフルエンザ様疾患のサーベイランスは、主に、情報として学校等施設における閉鎖数と欠席者数、サーベイランス情報定点におけるインフルエンザ様疾患患者数、及び病原体検索として、閉鎖施設患者及びサーベイランス検査定点で採取される検体からのウイルス分離からなり、特に、病原体ウイルスの分離同定は、各地研における業務として大きな役割を占め迅速性が要求される。1965年前後、一部の地研において孵化鶏卵や初代猿腎細胞によるウイルス分離が実施され、既に、アジア型ウイルスA(H2N2)が分離されていた。1968年の香港型ウイルスが抗原変異ウイルスとして、愛知県に持ち込まれた時点で、A/愛知/1/68として分離され、早速ワクチン株に導入された。1977年には、ソ連型の流行が報道され、島根衛生研究所の手で同県浜田港に上陸した患者よりウイルスが分離同定され、我が国にもこの型のウイルスが侵淫したことが確認された。この間にも1968年から1977年のインフルエンザA香港型ウイルスが流行因子であった期間、各地研において施設閉鎖の病因検索を実施、連続抗原変異による変異株の分離同定が確認された時点でワクチン株として導入された。1977年からは、厚生省の流行予測事業としてインフルエンザ感染源調査が始まり、全都道府県においてインフルエンザウイルス様疾患患者よりウイルス分離同定を実施、国立予防衛生研究所(現感染研)に集約された成績は、第一線の情報として現在も予防対策に生かされている。1977年からは、抗原変異したAソ連型ウイルスが流行要因となると考えられていたが、各地研でウイルス分離が精力的に行われた結果、A香港型とAソ連型ウイルスがB型を交え、交互、または、混在して流行因子となっていることがウイルス分離状況から確認されている。1986年からはサーベイランス事業も開始され、各地研であつかわれる検体、患者診断に関する情報も詳細になり、インフルエンザウイルス感染症が単なる上気道感染症のみならず、リスクグループにとって、脳炎、脳症、肺炎等の重症化の引き金として実体が明らかになりつつある。

行政の対応:
過去の流行の歴史的経過、及びウイルスの生物学的な検討から、時期的に抗原変異した新型ウイルスの出現も近い時期と考えられている。このため、1997年5月厚生省において新型インフルエンザ対策検討会が設置され、同10月には報告書が作成された。この報告書でも対策の行動計画に、国内での病原体確認の第一線として、地研の立場が大きく明示されている。

地研間の連携:

国及び国研等との連携:
各地研において分離同定されたウイルスを国立感染研に送付し、改めて抗原解析されていたが、1989年より、迅速に全国情報を感染研に集約するため、インフルエンザシーズン前にワクチン株を標準株としたウイルス同定用感染免疫血清が分与されている。

事例の教訓・反省:

現在の状況:
各地研において、施設閉鎖の病因検索、サーベイランスの病原体検出のためにウイルス分離が行われ、前述の感染研から分与された抗血清により同定を実施し、分離ウイルスについての情報が刻々感染研に集約される。これらの情報は、厚生省の予防対策及び次期ワクチン株選定の資料となり、さらにWHOのステーションである感染研が週報としてWHOへ現状報告を行うとともに、各地研に対しても情報が還元される。

今後の課題:
昨年来、厚生省で新型ウイルスの出現についての対応がなされ、A(H5N1)型の抗原、抗血清が感染研より各地研に分与された。しかし、現状における検体の質の問題、ウイルスの分離系(細胞)の感受性などを含めた精度管理や分離の効率化、抗原性の解析(分与抗血清で対応できない場合の情報交換)等、感染研が情報交換の中心としてより機能することが望まれる。

問題点:

関連資料:
1)「新型インフルエンザ対策報告書」新型インフルエンザ対策検討会(1997.10)
2)「伝染病流行予測調査報告書」厚生省保健医務局結核.感染症対策室