No.954 沿道の鉛汚染問題

[ 詳細報告 ]
分野名:その他
登録日:2016/03/11
最終更新日:2016/05/27
衛研名:東京都立衛生研究所
発生地域:東京都新宿区牛込柳町住民
事例発生日:1970年5月
事例終息日:
発生規模:
患者被害報告数:0名
死亡者数:0名
原因物質:大気中アルキル鉛
キーワード:大気汚染、アルキル鉛、鉛中毒、道路沿道、集団検診、人体汚染、血中鉛、尿中鉛、ALA-D、原子吸光分析

背景:
昭和40年代の高度経済成長の時代は、自動車が広く普及していった時代でもあった。高出力のエンジンを支えた技術の一つにアンチノック剤がありその主役は四エチル鉛などのアルキル鉛であった。当時の自動車用ガソリンにはアルキル鉛が添加されているのが普通であった。その結果、当然のように都市大気中の鉛濃度が上昇するという現象をまねいた。また、光化学スモッグによる被害も報告され始めた時期でもあり、住民の大気汚染に対する関心と健康被害への不安が急速に高まっていた。

概要:
1970年(昭和45年)5月、東京都新宿区牛込柳町において民間団体の実施した集団検診により、多数の者が鉛中毒と診断されるという結果が報道され大きな問題になった。東京都衛生局は当初牛込柳町付近の住民、その後都内各地において鉛害検診を希望者について実施した。受検査者は1970年5月より1971年2月までに延べ2,000名以上に達したが、各種の鉛中毒臨床検査、血中・尿中鉛分析にもかかわらず1名の鉛中毒患者も発見されなかった。都衛生局はその後も引き続いて鉛汚染による健康影響の監視を1980年まで行った。この間の調査の結果、1970年代の東京都民の血中・尿中鉛濃度の正常値、年齢の影響、性差、地域差、年次推移を把握することができた。

原因究明:
幸いにも鉛中毒と診断された被験者は1名もいなかったが、これは各種の鉛中毒臨床検査結果に基づくものである。血中・尿中鉛の分析は精度管理手法を導入した原子吸光分析法により行った。鉛中毒には至らないレベルではあったが、血中・尿中鉛濃度とも大気汚染程度の激しい地域の住民ほど高く、人体が大気中鉛に汚染されていることを強く示唆する結果であった。本事件を契機として自動車用ガソリンへのアルキル鉛添加の規制が順次行われることとなり、1975年にはレギュラーガソリンが無鉛化されるに至った。プレミアムガソリンについても実質的に無鉛となった。11年間の観察の結果、大気中鉛濃度、血中・尿中鉛濃度ともに劇的に減少傾向を示したことからも自動車用ガソリンへ添加されたアルキル鉛が主要な汚染源の一つであったことほぼ疑いないと考えられた。

診断:

地研の対応:
都衛生局は鉛害検診を実施したが、その際、尿、血液を採取し、鉛中毒の指標となる鉛濃度、デルタアミノレブリン酸(δ-ALA)、およびデルタアミノレブリン酸脱水素酵素(δ-ALA-D)の測定については当衛生研究所が分担することとなった。当初は緊急性を考慮し他部門からの応援協力体制を確立し、本検査に没頭した。当時、人体中の低濃度の鉛を測定することは高度な技術とされており、様々な問題点を克服する必要があった。11年間の検査対象者は5,000名以上にのぼった。さらに、動物実験による毒性データの集積、ハトなどの生物指標による鉛汚染の実態調査、学術論文等の情報収集を行い行政当局に提供した。

行政の対応:
本事件の発生以前、既に都衛生局は大気汚染に対する保健対策を講ずることを目的として、1969年度(昭和44年度)に特に汚染の認められる15特別区において6,145名の健康診断を実施していた。「牛込柳町の鉛公害事件」が発生後、直ちに検診体制をとり、1970年6月27日には早くも「牛込柳町付近住民の鉛公害健診の結果について」を発表した。その後も、調査対象域、調査対象者を広げ、一般都民においても鉛汚染の影響が顕れているか否かを調査した。一方、東京都公害研究所(現環境科学研究所)は都内の道路沿道付近の大気中鉛濃度を測定した。

地研間の連携:

国及び国研等との連携:

事例の教訓・反省:

現在の状況:
この「牛込柳町の鉛公害事件」の後、「魚介類の水銀汚染」、「クロム鉱滓による土壌汚染」問題が発生したため、人体中の重金属類の測定技術の向上には力を入れて取り組んだ。1980年にはWHO/UNEPのGlobal Environmental Monitoring System(GEMS)重金属プロジェクトにも参加し、国際的にも相応の技術水準に達していると認定された。分析機器については、フレーム/フレームレス原子吸光装置、ICP質量分析計、ICP発光分析計を設置している。

今後の課題:
有害な重金属類の幾つかについては、既に環境庁が優先取り組み物質として大気環境基準づくりに向けた取り組みを行っている。人体汚染についてもモニタリング手法の確立をし、事故の未然防止と緊急事態に日頃から備えておくことが肝要である。

問題点:

関連資料:
1)調査研究報告
(1)東京都15特別区における大気汚染の住民に及ぼす影響、1970.3、都衛生局、(昭和44年度公害検診成績)
(2)牛込柳町付近住民の鉛公害健診の結果について、1970.6.27、都衛生局(3)鉛公害調査報告、1971.3、都公害研究所
(4)東京都住民の大気鉛による生物学的反応に関する研究、1972.11、都衛生局、(鉛検診成績解析結果報告書)
(5)環境汚染(いわゆる公害)に関する調査・研究 その1、1973.3、都立衛生研究所
(6)各種重金属の人体蓄積調査結果報告書、1975.3、都衛生局
(7)環境汚染(いわゆる公害)に関する調査・研究 その2、1975.7、都立衛生研究所
(8)各種重金属の人体蓄積調査結果報告書、1976.8、都衛生局
2)都立衛生研究所研究年報
(1)東京都における各種大気汚染物質間の相関および因子分析、1970、野牛 他
(2)東京都民の血中および尿中鉛量について、1970、野牛 他
(3)Behaviors of various parameters of lead poisoning in rabbits、1970、大井他(4)昭和46年度東京都鉛害検診成績の解析、1971、野牛 他
(5)ハト,鉛汚染の指標、1971、大井 他
(6)鉛汚染指標としての鳩 -非汚染地区への移動による影響-、1977、関 他
(7)都民の血中、尿中鉛量について -1970年代における年次推移と地域差-、1996瀬戸他
3)学会発表
(1)鉛汚染の人体影響について -第1報- (東京・牛込柳町付近住民の鉛公害検診の成績)、1970.10、日向(都衛生局)他、、日本公衆衛生学会
(2)鉛汚染の人体影響について -第2報- (好塩基斑点赤血球の動態について)、1971.10、加納他、日本公衆衛生学会
(3)都民の血中,尿中鉛の動向、1975、野牛 他、日本公衆衛生学会
(4)ハトを指標とした東京都の鉛汚染の経年変化、1988、大井他、医学の歩み147,119